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2025

引退ブログ

2025年度主将を務めました4年 MF#24 賀屋凜音(らい)です。


エミから始まり、ついにユリアから回って来ました。

実はユリアは、(自称)1番の幼馴染。
恐怖を覚えるほど共通点だらけです。

誰も興味ないかもしれないけど、せっかくなので幼馴染エピソードを紹介すると…

私たちは誕生日が前後で、元々すごいねって一緒にお祝いしてたのですが、(【私】2/29・【ユリア】3/1)

生まれた病院が同じということが発覚し、さらに同じ新生児室にいて、21年前に母親同士が病院で話したことがあるらしく、女ラク35期ママたちのランチ会で発覚(笑)


ついでに、ユリアと食の好みは怖いぐらい丸かぶりです。

こんな出会いは恐怖体験すぎます。

今シーズン1番ぶつかったユリアとの毎リーグ後の“無言のハイタッチ”、中央戦が一番印象に残ってる。あの時、言葉にならない感情と全力のリスペクトがあった。
この1年を乗り越えて、ただの仲良しとは違う、強い仲間になれたと思っています。

候補のご飯屋さん提示されるのお待ちしております。


日頃より応援してくださるOG・OB、保護者の皆さまをはじめ、学習院大学ラクロス部女子に関わってくださるすべての方々、
多大なるご支援・ご声援、本当にありがとうございました。

FINAL進出という形で恩返しをすることは叶わなかったけれど、このチームや私たちの姿が、少しでも誰かの希望になっていたら良いなと思います。



22チーム:2部リーグ降格
23チーム:1部リーグ昇格
24チーム:1部リーグ4位
25チーム:FINAL4進出

私たち35期が在籍した4年間です。
結果だけ見ればドラマ化できそうな青春ストーリーで、そこにはもう二度と経験できない、語りきれない、想いが詰まっています。


こんなにも自分の“ありのままの感情”を言葉にするのは初めてで少し怖いけれど、この場を借りて少しだけ、私がどんな想いでこの4年間をラクロス部と過ごしてきたのか、そして25チームにどんな想いを込めていたのかを書こうと思います。


この長い長いブログを読んで、みんながどう感じるかはわかりません。だけど、どんな捉え方をされたとしても、この4年間の経験は私にとってかけがえのない宝物です。
ネガティブな感情は1ミリもなく、出会って関わってくださったすべての人に心から感謝しています。


最初に

「価値観や性格の違いを受け入れることが大事」
よく聞く言葉だけど、実際にそれを体現するのは本当に難しい。

大切なのは、「相手のことを知ろうとすること」と「どれだけ理解できるか」かなと思う。
相手のことを知らないままで受け入れようとしたり、仲良くしようとしたりしても、それは結局、表面上の関係にしかならない。

でも、お互いを深く知っていくと、今まで見えなかった一面が見えてくる。それが時には負の部分かもしれないけど、その中におもしろさを見出せたり、意外な共通点を見つけられたりもする。

そうなると「違いを受け入れる」じゃなくて、「もっと知りたくなる」に変わるんだよね。

親近感が生まれると、自然と距離が縮まって、気づいたらその人を応援したくなっている。

今年1番の学びです。


私がラクロスに出会ったのは気まぐれ。
本当はチアをやるつもりで入学したのに、なんとなく迷っていた時に、入学式で仲良くなった友人に「ラクロス部入る!」と言われ、勢いに釣られて新歓にも体験にも行かず、連絡先だけつないでもらって入部を決めました。(ちなみにその子は辞めちゃったけど、今も仲良しです☺︎)

学習院にはほぼ無い1部リーグ所属部活なことも、日本一を目指せることも何も知らずに始めたけれど、いつの間にか競技にどっぷりのめり込み、気づけば私の大学生活の中心になっていました。

“気まぐれ”で始めたこの選択が、人生で一番成功した気まぐれだったと思います。


●怪我と我慢の1年目

当時、同期は今の倍ほどいた。

1年生の記憶といえば、身内ネタばかりですが、コロナ発症者が出る度に部停になること、リーグ戦当日に組織に反発し、チコさん(育成)とテンさん(主将)を泣かせてしまったこと…。

でも、個人的に一番大きな出来事は「怪我」
幼い頃からずっとスポーツをしてきたけれど、怪我とは無縁で過ごしてきた。そんな私が、腸脛靭帯炎と診断され1〜2ヶ月の離脱、全然我慢できた。
でも、復帰して約2週間後、また脚が崩れるように痛み出し、今度は「恥骨の疲労骨折」歩けない日すらあった、

「痛いからできません」なんて怖くて言えるわけもなく、激痛を隠しながらゴールを運び、春合宿では土砂降りの中、1人でひたすらトレーニングと膝付きシュート。
エリア選抜試合では無理して出場するも、1Qの途中でリタイア。その状態でなぜかユース選考会にも残ったけれど、脚を引きずる私に「大丈夫?」と選考する側の方に声をかけられる始末。

負けず嫌いな私にとって“楽しい”なんて感情は、どこかに置いてきたようなものだった。
存在意義も目標も思い当たらなくなった見学ばかりの半年間。
たまに怪我仲間ができて少し安心する一方で、復帰していく彼女たちを見て勝手に落ち込むような、本当に自分が自分じゃない時期だった。


でも今振り返ると、あの頃の私はただ必死でした。
なぜあんなに無理して、平気なふりをしていたのか、
たぶん、平然を装っていないとチームから孤立してしまいそうで、怖かったんだと思います。(弱いね、)


●素直を取り戻した2年目

怪我からの復帰とほぼ同時に、2年生の夏からアメリカ・カリフォルニアへ1年間の留学。

高校での留学をきっかけに「大学では必ず1年間留学する」と決めていて、せっかく行くなら、“本場アメリカでラクロスがしたい”と思い、ラクロス環境の整った大学を選んだ。

「学習院ラクロスから1年離れる怖さ」
留学が近づくにつれて、その不安はどんどん大きくなっていた。

けどいざ留学が始まってみると、毎日が本当に濃くて、刺激的で、全てが学びという日々が楽しくて仕方がなかった。
(もちろん、現実的には“楽しい3割・大変7割”くらいですが笑)


何が大変かって、、

チームメイト2人に「多分そんなに難しくないし面白そうだから一緒に取ろう」と言われて履修した “American Indian Sports(先住民のスポーツ)”という授業。
毎回の授業内発表は難しすぎるし、口頭質問に対する論述テストは鬼のように厳しいし、課題はとにかく多い。
私がどうなったかというと……毎回オフィスアワーに教授の部屋へ駆け込み復習、夜の練習後は図書館にこもって深夜まで勉強。チームメイトに全てを教えてもらって、発表前に内容を確認してもらうする日々。
どこが難しくないんじゃ!って言いたくなりました(笑)


そんな慌ただしい生活の中でも、私がチームメイトたちと過ごす中で感じたのは「フラットな関係性」でした。
本音で意見を言い合える環境、冗談を交えながらお互いを尊重し合う空気、そして仲間と一緒に過ごす時間の多さ。アメリカ人は感受性豊かなので、喜怒哀楽がはっきりしすぎて面白いですが
“チームを強くする秘訣”って、きっとこういうところにあるんだと心から思った。

毎試合、毎遠征が本当に楽しくて、笑って、ふざけて、色んな場所に連れ回してくれて、食べる。
ラクロスも、チームも、“大好き”だと心の底から思えた1年。
WCLAでプレーできてメダルをもらえたことは、今でも一生の宝です。


●再出発した葛藤の3年目

そんな濃いアメリカ生活を終えて帰国した時には、すでに24リーグシーズンがほぼ始まっていた。

そこで直面したのは、想定の何倍ものギャップ。
ルールもフィールドの人数もアメリカとは少し違うし、リーグに向けて仕上がっているチームに途中から入るのは、やっぱり簡単じゃなかった。

あまりみんなに言ったことはなかったけど、正直“疎外感”の毎日だった。
23チームの1部奪還の瞬間も、そこまでの辛い道のりも経験していない。FINAL4を目標に頑張るみんなと、同じ気持ちや熱量ではないと自覚していた。

すでに出来上がっていたチームの中で、浮いている自分の存在価値がわからなくて。別に価値を見出したいわけじゃなかったけど、「私は“武者”と同じなのかな」と思ってしまったのが、本当に一番苦しかった。

部活中はプレーよりも気持ちのコントロールに必死だった。練習が終わると1秒でも早く外の友人に会いに行って、少しでも“自分”を保てる時間をつくっていた。
我慢の糸が切れないように、必死だった。本当に自分勝手でごめんなさい。


「うまく巻き込めなくてごめん」
マヤさんやアマネさん、ナナコさんにそう言われた時、4年生が創作するチーム対してこんな気持ちでいる自分が申し訳なくてたまらなかった。

でもやっぱり、、、

24チームの最終戦で、4年生が勝利で笑顔で終われたこと、純粋に嬉しかった。入れ替え戦常連と言われていた学習院が、1部4位という成績を残せたことも本当に誇らしかった。
だけど心のどこかで、「学習院おめでとう」そう思っていたんだと思う。

この事実を書くか迷ったけど、この時の感情こそが、私の背中を押してくれた原動力のひとつだから、あえてここに残します。


●勝てるチームを創りたい4年目

25チームが始動。

大目標は「FINAL進出」
私の個人目標は「チームの軸になる」
理想の組織は「風通しのいいチーム、勝つチーム」

チーム力こそが一番大事だと思っているから。

だけど現実はそう簡単に進めさせてはくれない。


もともと先導して引っ張るタイプじゃなく、周りの様子を見て補うのが得意だったから、副将になりたいと思っていた。下級生の頃、ユリアとチームについて何度か話し合ったときからそう話してた。
でも、チームを変えたい。勝ちたい。
同期と話すうちに謎の覚悟ができて、「らいが主将になったら、チームは明るくも真面目にもなれる。気分や感情が揺れないから雰囲気が悪くならない」とかなんやかんや言ってくれた同期の言葉にやる気を押されて、主将ストーリーが始まった。


徹底すると自分の中で決めていたことは、
・全体で発言するときは声のトーンを上げる
・常に笑顔で明るくフレンドリーでいる
・メンバーやスタッフ一人ひとりを観察する

この3つ。チームの雰囲気は主将の性格で決まると思ってるから、1年間ずっと意識してきた。

個々の技術が高くても、チーム力がなければ勝てない。逆に、全員の技術が平均でも、チーム力があれば勝てる。
それを一番信じていた自信がある。(あの頃よしえさんにもらった“仲間力”の本にどハマりしてたな。)


「どうすれば主将という肩書きを感じさせずに、みんなが話しかけやすくなるんだろう」って考えて、練習外でのキャラを考えてみたり、後輩に絡みに行ったり色々試してみた。
雰囲気が落ちていそうなメンバーがいないか、常にアンテナを張って、話す機会が少ない人にも積極的に声をかけて、“メンバー一人ひとりを一番知ってる人”でありたいという軸だけはブレたくなかった。

後輩たちがどう感じていたかは分からないけれど、“主将”じゃなくて“一仲間”としてラフに感じてもらえていたなら、それは成功だったかな。

それでも、空回りして“突っ走ってる人”になってしまったこともある。
「何がしたいのか分からない」と組織幹部で言われたこともあった。
既存のものに意見を言うのは簡単だけど、新しいものを生み出してみんなを巻き込むのは、想像以上に難しかった。

そしてまた気づいたら、悪い空気を感じ取っては、どうすればその機嫌が戻るか様子を伺って、人の気持ちを考えすぎる癖が悪い方向にばかり向いて、自分の状況も意見も気持ちも言えなくなって全部我慢してしまった。(本当に良くなかった)
通知が来るのが怖くて、文を打ってる途中で頭が真っ白になって、携帯を握る手が震えた。
同期に話しかけられるのも、ご飯を食べている時間も、ミーティングも何もかもが怖くなっていた。


(開幕戦に向かう時、レイとタクシーに乗ったら、何も喋ってないのに涙が出てきて、レイが泣いてる私見て焦ってたことあったよね笑ごめんね笑)


留学や中学のかなりブラックな新体操部で“鋼メンタル”を手に入れたつもりだったけど、「私にも限界ってあるんだ」と初めて知った。


少し時を遡って。

「信頼できる同期がいない」
そう口に出した冬の同期ミーティング。

何の問題もなかったし、同期に対して悪い感情なんて全くなかった。
でも、同期の8割は内部進学生で、中1からの付き合い。
総じてノリや雰囲気が違うのはわかっていたから、きっとそれまで深い話を勝手にしなかったんだと思う。

でもあの日から、同期を頼る勇気を持てた気がした。


春合宿で日付を超えて本音をぶつけ合った夜。
人生で初めて、人を傷つける覚悟で言葉をぶつけた。
私が正直になることで誰かを傷つけるのも分かってた。
自分が我慢すればチームは荒れないことも分かってた。
それでも、あの時ちゃんと伝えられてよかった。

だけどやっぱり、私はチームの空気を整える役割を担い続けた。
「主将はこうあるべき」という言葉や自分とは異なる考え方の重みに押しつぶされそうになって、言いかけた反論を飲み込む日もあった。
“人にはそれぞれキャラクターがある”と自分に言い聞かせながら、飛んでくる言葉を吸収する日々。
笑ってはいけない。普通の自分でいてはいけない。常に自分をコントロールしていた。
でも、「やっぱりこんなのは違う」そう突然吹っ切れたのは、リーグ戦期だった。(遅すぎるけど)


強いチームって、


私たちの理念「愛される人」
冬の全体ミーティングで出た「愛される人・愛されるチームって何だろう?」という問いから、“応援されるチーム”というビジョンが生まれた。

「24チームの最終戦くらいは観に来てほしい」

そうみんなの中にイメージができていった。
挨拶、ゴミ拾い、荷物整理。
気づけば後輩たちの口から自然と「今日、愛される人した?」「それじゃ愛されないよ」なんて言葉が出るようになっていた。

今年のリーグ戦を振り返ると、本当に多くの人が応援してくださった。
中央戦では予選なのにスタンドがスカスカではなかったし、OGの方々もこれまでにないほどの支援をしてくださった。
他大学のラクロス仲間から「学習院、今年強いね」って言われるたびに、シャイな私は「ありがとう」しか言えなかったけど、心の中ではめちゃくちゃ嬉しかった。
私たちは確実に、“愛されるチーム”になっていた。


“風通しは良くしたい。でも威厳は失いたくない。”
そんな葛藤をずっと抱えていて、もっと厳しい組織にするべきなのか、境界線はどこなのか。
組織改革で4年生のメンタルが削られることもあったし、後輩が自由になりすぎているんじゃないかと不安に思うこともあった。
(受け入れて、アドバイスをくれた同期には本当に感謝してる)

ここでも“フラットな関係”という軸だけは譲れなかった。
そこは、自分を強く持ってよかったと思う。



そんなこんなで25リーグ。
チーム一丸となって、「学習の雰囲気で行けば勝てる」みんなリーグ戦を重ねる毎にそう思っていたんじゃないかな。

“学習らしさ”って何だろう。
ワードで表すのは難しいけど、私の中ではフワッとした答えがある。

毎リーグ、メンバーが集まるたびに、しつこく言い続けた言葉。
(もうみんなの記憶にはないかもしれないけど)

「アイコンタクト。仲間の目を見合って、笑顔でいこう。」

これが、私の答えだった。
結局、何より力になるのは“仲間の存在”
スタンドから、ベンチから、同じ時間を過ごしてきた仲間たちの姿が、何よりも心を支えてくれる。

(厳しい練習を重ねていることは前提です)


これが、25チームのカタチだったんだと思う。


全ての気持ちを込めて、本当に楽しかった。


感謝をここでは述べきれませんが、


後輩たち

「らいさーん聞いてくださーい!」っていつも絡んでくれる声が本当に嬉しかった。
私の誕生日につま恋から「おめでとうございます!」って動画を送ってきてくれたのも、言葉にならないくらい嬉しかった。

3年生は、もはや同期です。彼女たちは生意気です。
4年生の強い味方でいてくれて、勝ちにこだわってくれてありがとう。
ケイのことを後輩だと思ったことは一度もないし(ちょっとナメすぎだよ?笑)、怪我でアウトしてる時に聞いてたウミの“肉食女子話”は面白すぎた。カイはせっかく濃い話してあげたのに口が軽すぎるし、ヒナちゃんの笑い声で毎回私まで笑っちゃう(ディスってないよ笑)。レンとはキンケードを耐え抜いた“硬すぎる友情”があるし、ユズの“勝利の舞”の終わり方は本当にどうにかしてくれ笑。一緒に行った油そば屋さんの壁がヤクルト⚾️で、セリが大興奮して店員さんが笑ってた時は恥ずかしくて退散しようかと思った。サラの牛さん靴下、最近見ないけどどこ行ったのかな。今度は辛くなったらすぐ声かけて、私はいつでも味方だよ。


2年生は、本当に頼もしくなった。
最近グラウンドでプレーを見ててもシューアップしてても「上手くなったな〜!」って感じる瞬間が増えた。個性派多くてめっちゃおもろいし、しょーもない話でたくさん盛り上がれて楽しかった!


1年生は、元気でおもしろくて、たくさん笑わせてくれた。
もっといっぱい話したかったなって思うけど、これから北グラ行った時にたくさんお話ししよう。ウィンター楽しみにしてるよ☺︎



恋バナもバカ話も、たくさん笑わせてくれてありがとう。
こんなに可愛い後輩たち、ここまで仲良くなってプライベートでもたくさん話す関係になれて嬉しいです笑



大好きな娘ちゃんたち

トワはお姉さんな一面を見せつつ、わんちゃんみたいに人懐っこくてかわいい娘????
応援も誰より大きい声で聞こえてきて、ドローの時とか「らいさーんファイト」って聞こえてくるの幸せすぎた!

ジェナと私が似てるって、何人に言われたことか…自分でもちょっと納得しちゃうくらい確かに似てる(笑)
毎リーグ前に「めっちゃ応援してます!」ってLINEくれて、やる気が爆上がりしてたよ????
いつも遠慮しながら練習誘ってくれてるけど、私はジェナを全力で育てる気満々なので覚悟してね?

2人とも、これからも一緒にビデオ見や自主練やろうね!
(現役のような発言してるけど、気持ちはまだ現役です)


いつメン

ラクロス無関係なのに、私のブログもインスタもチェックしてくれてありがとう(笑)
1年生の初めから勉強も留学も日常も、いつも高め合ってきたね。真面目なのにめっちゃ変人で、4年間全てを頑張れたのはみんなのおかげだよ絶対に。

FINAL4終わった直後、無言で泣き出した私に「これで遊び放題だね、旅行行こ!」ってあんな慰め方する人いないよ、最高。
6人全員が応援に来てくれて(2戦以外全部誰かしらいた)、リーグ想定試合や五月祭まで観に来てくれて、
疲れた時に「会おう」って、ほぼ毎日会いすぎて7割無言、部活の連絡で一生携帯見てるのに文句ひとつ言わず一緒に居続けてくれた。
予定も合わせてくれて、ずっと応援してくれて、もう自慢の親友でしかないです。
遊ぶぞー♡

(写真はやめておきます)


しんごさん

私の力作の色紙ちゃんと吊るしてますか?   

FINAL4の後、「このチームはらいが主将で良かった」って言ってくれて、まあ褒めてるのかよく分からない言葉も多かったけど(笑)
4年間の中で特別たくさん関わったわけじゃないし、会話量も多くなかったけど、最後にちゃんと話したとき、ずっと張り詰めていた何かがふっと解けた気がした。
HCをしんごさんにお願いしてよかったって心から思ってます。今後もグラウンド行くしまたお話しする機会いっぱいあると思うのでもっと喋りましょー


よしえさん

今年確実に1番お話したコーチですね笑
またご飯行きましょー!(この1年、友達レベルにご飯に行った気がする笑)

あ、温泉は実現しましょう!♨️ (個人写真すみません笑)


えまさん

私が1年生の頃、ゲームキャプテンで、リーグで必ず得点するえまさんは偉大すぎる親だった。(軽々しく喋れないと思ってたのに今はタメですみません笑)
この4年間、「えまさんみたいなカッコいいMFになりたい」ってずっと言ってきたけど、そんなうまく夢が叶うこともなくて(笑)
でも観に来てくれた中央戦で2得点できて、FINAL4決まった瞬間に席でえまさんが大号泣してたって聞いて、少しは成長した姿を見せられたかなって勝手に思ってる。
こんなに頻繁に遊ぶ仲良し親子、他にいないよね(笑)これからもよろしくお願いします!


てんさん

「私たちの代で2部に降格してしまって…。だからこの子たちにはできること全てやってあげたい。責任がある」そう言ってたけど、
スカであーだこーだ言いながら一緒に戦術考えて、公園でドロー練して(途中でくだらない話に脱線して笑)、スカのあとノリで映画観に行って、リーグでのてんさんの存在デカ過ぎた、、自信のなかった私が自信を持てたドローをできました。
他大の子たちにもいっぱい褒めてもらえて、リーグでも結構無双して、FINAL4につながった大きな鍵。
もう“22主将としての責務を果たす”とかじゃなくて、胸を張れるでしょ!自由に、自信を持って、私の大好きな明るいてんさんで26チームもお願いします!


同期

ここで伝えきることはできません。

十人十色で良いことも悪いこともあったけど、更衣室でダベるのも楽しかったし、車で練習行く時車内も楽しかったし、って沢山の思い出をありがとう!今後はちょっとぐらい同期飲みにも参加しようかなと、、




仲良くしてくれる他大ラクロッサーのみなさん

学習のリーグ戦に足を運んでくれて、凄かった!って会うたびに褒めてくれて、わざわざメッセージくれた子も何人もいて、本当に言葉にできないほど嬉しかった!その気持ちが力になっていました!!!


学習男ラクのみなさん

見事に全部AWAY会場だったのに6試合中4試合も絶大な応援ありがとう!(←よしき、うちらのわがまま受け入れてくれてありがとう読んでるか知らんけど)

どの試合も、スタンドからの声援は確実に学習院が勝ってた!!

1部昇格楽しみにしてる!


最後に


1部の舞台で戦えること。
ラクロスができるグラウンドがあること。
上を目指せる仲間がいること。

本当にとんでもなく幸せなことです。

(主将会を通じてより一層感じました)

これまでの先輩方がFINAL4に立てる土台を作ってくださっていたことに、心から感謝しています。



だからこそ、もっと上に行きたかった。

このチームで勝ち進みたかった。
もっと学習院の歴史も世間体も変えたかった。

勝った時に見れる仲間の生き生きした笑顔や涙を見たかった。


FINAL4が決まった時、きっとチーム全員が全国を見据えていたし、FINALに進出することを想定していたと思う。


「勝つチーム」を創りたい

FINALという大目標まであと一歩だった、勝ち切れるチームにできなくてごめんね。でもみんなが勝った時に見せる笑顔とか、勝ちたくて本気で向き合う姿が私は大好きだから、26チームではスタンドからその勇姿を観ます!


日体戦、この4年間で本当に1番楽しかった、最高だった、あんな景色は初めてだった。
FINALには届かなかったけれど、確かに“学習院ラクロスの歴史”を一歩動かせた。
そして、このチームでの経験と出会った仲間たちは、これからもずっと私の宝物です。



みんな、本当にありがとう。




本日をもって、25チーム・35期生の引退ブログは終了します。
ここからさらに高みを目指して羽ばたいていく26チーム以降も、どうぞ変わらぬご支援・ご声援をよろしくお願いいたします。 ONE!!!


Higher #24 らい


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