こんばんは!
4年のてんです
ついに16日に渡って続いてきた引退ブログもラストになりました。
まずは、22チームを応援してくださったOGの方々、御父母の方々、そしてお世話になったコーチの方々、その他大勢の方々、本当にありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
『学生日本一』という高い目標を掲げて活動してきた1年でしたが、目標とは大きく異なる『二部降格』という結果になってしまいました。
お世話になった方々に結果で恩返しをしたいと思っていた反面、このような形でシーズンを終えることとなってしまい、
そして後輩たちに一部という舞台を残してあげらず、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいです。
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部活のことを色々と思い出そうとしても、本当に大変なことをしてしまったんだという罪悪感が1番に出てくる感情で、振り返るのが怖くてあまり現実と向き合い切れずに引退してからの1ヶ月が過ぎてしまいました。
ここまでやってきた4年間全てを否定するのは違うと思うけど、でもこの4年間のどこかで及んでなかった部分があったからこういう結果に終わってしまったと思うので、ブログを書くことでしっかりと向き合おうと思います。
このブログではラストイヤーをメインに4年間の振り返りと、この部活で得たことの2点について書こうと思います。
引退ブログラストってことでちょっと長くなります。サラッとでもいいので温かい目と広い心で読んでください。。。
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まずは4年間の振り返り
1年生
本当は留学と部活を両立させるつもりで入部したけど(営科なのに珍しくモチベ高いタイプだったの最初は笑)、
絶対にAチームに入って試合に出たくて部活一筋でやるぞって留学を辞めました。
でも1年生の1年間、怪我でほぼプレーしてなくて多分リアルに総プレー期間2ヶ月くらい。
まじで笑えない。
医者が許してくれなくて走れない期間が長かった分、本当に悔しすぎてひたすらクロスワークとパスキャと脳みそと身体を鍛えまくりました。
この1年、怪我して良かったなんて一ミリも思わないけど、でも全く無駄だった訳じゃない。
今の自分を作ったのは確実にこの期間のお陰。
この時たくさん自主練とビデオ見に付き合ってくれて、私のモチベを保ってくれた先輩たちには本当にお世話になりすぎました。ありがとうございました。
ほぼ見学者として過ごしながら組織幹部もやってたので、すごく学年をまとめるのが難しかったけど、プレーしてないからこそ見えることとかもあるだろうって信じて、自分にできることを必死に探してやった1年。
2年生
2年生になりたての2月末ごろ、復帰したてでAB分けでも一番最後に名前があって、ドロワーとも認識されてない人権ない人になってました。
(もはやこの辺、しんごさんに認知されてなかったのでは笑)
だいぶ萎えながらも、でもここが踏ん張り時だ
って思ってたら1週間後にコロナという悪魔がやってきて、一番チームで下手くそな存在のまま、長い長い自粛期間に。
自分の中で、大きなきっかけになったのは、その自粛期間で自ら育成に立候補したこと。
これがほんとに私のラクロス人生での分岐点。
この時育成やるって決めた自分を褒めてやりたいくらい。
人に教えることで気付かされることもあるし、自分も人にいう分、プレーでも示せるように頑張らないとって常に思えてた。
で、自分はみんなが思ってるよりもだいぶ負けず嫌いなタイプなので
「絶対に長期間の見学期間があったなんて思わせないくらい上手くなるし、油断してる人たちを見返してやるんだ」っていう超性格悪い感じのマインドで2年生からの3年間やってきました。
で、まぁプレー面の成長もそうだけど、組織幹部としてもまたまた奮闘する1年間。
あとはまぁ色々あったけど割愛
3年生
ここでもラクロス人生における2度目の分岐点。
ドロー専門っていうチームで初めての役割を持たせてもらいました。
ドローに専念できるからこそ圧倒的武器にしてチームの戦力になろうって意気込んだはいたけど
その気持ちとは裏腹に
チーム内で役割を確立するのが本当に難しかった。
まじでセット練が多い日とかは、え、自分今何しよう?ってなることが本当に多くて、しかも3年だから先輩もいる中だしあんまり好き勝手出来なくて。
チーム練の日にドロー武者とか行っちゃいたかったけど、男子のFOとはまた違うし、そんなに人数も多いチームって訳でもなかったから、女子のチーム内でドローだけってのはちょっと難しかった笑
1年生が端練してる日はドロー上げまくったあと育成にも専念できたからその点よかったけどね!
でもこの1年ドローと死ぬほど向き合ったからこそ、超メンタル鍛えられたし、確実に私の武器になりました。
選択肢を与えてくれたコーチ陣といとさんに感謝。
4年生
ラストイヤー、色々覚悟して迎えたけど確実に1番苦しくて悔しい想い沢山した。
まじで死ぬほど余裕なかったし必死すぎた。
でも1番楽しかったのも事実。
意気込みブログにも書いたけど、自分にはあまりに大きすぎる主将という役職を任せてもらって。
それなのに、試合に出られないことも多くて情けなくて本当に何度も心折れたし、正直最後の挨拶しんどすぎた笑。特に出てない試合。
もちろんチームが勝った時は嬉しかったけどね?!
個人軸の部分も大事にしてたので、それゆえの悔しさ。
そういう、主将だから○○。主将なのに○○。みたいなのって、気にすることじゃないんだろうし、大事にすべきはそこじゃないと思うんだけど、でも自分の中ではチームとして勝つっていうところと同じくらい結構大事だった。
そこを大事にしないと潰れてしまいそうだったのもある。
主将という役職がなかったら自分はラストイヤーどうなってたんだろうって考えてみるけど
あんまり活躍する姿が想像つかないです。
もしかしたらドローだけが強みって感じで、あとはそれなりにパスキャとシュートが上手ではあるけど試合で使いづらいなぁって感じのATになってたかも。悔しいけど。
主将という役職が自分を常に奮い立たせて、誰よりも最後まで成長するんだって思わせてくれてた。
主将だったからもうひと踏ん張り!って感じで頑張れた事がたくさんあった。
推薦してくれたみんなには本当に心から感謝。
本当にありがとう。
OFに関わりたいな〜って22チーム始動のタイミングでATやり始めてたけど
5月から突然DFをやることになったわけで、正直まじで焦ってた。
ここでは書ききれないくらいDFとして一人前になるには色々と大変だったけど、
でも最初っから最後まで心から楽しんでDF、そしてラクロスが出来てました。
本当に楽しかった。みんなでラクロスしてるってこういうことだな〜って。
4年生なのにブレイク対応もできない人が突然ボトムに入って本当にご迷惑をお掛けしました。。。
で、プレーのことはここで終わり。
ここからは組織面での話。
主将がんばるぞ〜って意気込んではいたけれど
いざ22チームの練習が始まってみると
技術で引っ張る副将/ゲームキャプテンのえまが練習で戦術面とか仕切ってくれるわけで。
じゃあ主将として自分は何をしようか。
自分のやるべきことを明確にして価値を見出さないとって思った。
(思うタイミングおっそ)
で、たどり着いた答えは
【部員の誰よりも周りを見れる人になって、コミュニケーションで溢れるチームを創る】
学年関係なくフラットな関係を築けて(時には必要な上下関係もあるけどね)、コミュニケーションが取りやすいこと
それが学生日本一になるために必要なことだと思った。
そうすればプレー中もガンガン意見出し合えると思ったし。
で、個人的には特に下級生に対してだけど、部員の些細な変化とか、この人今こんなところ頑張ってるんだなって言うところに気づいて声をかけてきたつもり。
育成やってたのもあるけど、1番色んな人と話して色んな人のことを知れた1年だった。
個人的にはそういうアクションを起こしてたけど、チームに対してはやり切れなかった部分もあって。
できるだけコミュニケーション増やしたくて、何かとファミリーとかペア組んでもらったり、親子での取り組み増やしたり、チームビルディングお願いしたり、、
働きかけてきた事はあるけれど、結果としてみんながお互いのこと知れて、沢山会話できてたのかっていうとそうではなかったよなと思います。
部員の誰よりも周り見れる人になるって決めてたものの、特にリーグが近づくにつれどんどん視野が狭くなって、気づけなかったことが沢山あった。
完全に自分の力不足。
まだ他にも色々意識してたことはあるんだけど、まぁとにかく色々模索しながら主将という役割を担ってきた1年間。
本当に、
ことあるごとに自信のない部分がチラ見えする頼りない主将だったと思います。
こんな私についてきてくれたみなさん本当にありがとう。
学年関係なく部活中のみんなの笑顔見て勝手に嬉しくなって、自信持ち直して頑張れてました。本当にみんなに支えられてた。これ結構マジ。
てことで、充実してたの一言では片付かないくらいのラストイヤー。
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振り返りなっが。すいません。
やっと二つ目の、この濃すぎる4年間で学んだことについて。
それは、
【色んな価値観を理解して、周りの意見を聞き入れることの大切さ】
私は一年生の最初の頃、特にこの『色んな価値観を理解する』っていうのが出来なくて。
自分は思考が基本的にものすごく保守的で、
そんな自分が1年生の頃から幹部をやってるから、特に下級生時代は
同期のどんどん新しいことをしようっていう雰囲気とか、先輩から理不尽なことを言われた時に立ち向かおうとする同期を必死に抑えて、
「いやいやもう大人しくいうこと聞いとこうよ」って多分何度も同期に言っちゃったし感じさせちゃったと思う。
ごめんね。
伝統を守っていきたいとかそういうのとはまた違くて、
争いごとを極力起こしたくないっていうところからくる考えなんだと思う。
必要なことだってきっとあったはずなのに。
もう色々なことがこの4年間ありすぎて細かくは思い出せないけど。
でもだんだん自分も色んな価値観への理解が追いついてきたり、学年が上がるにつれて視野が広がってきたりして。
自分のこの保守的な考えで色んなことを抑え込んでるままじゃダメだよなって気づいて、
今年のチーム始動のタイミングでは色々なことを変えてきた。
自分が主将になるからと言って保守的なチームにするんじゃなくて、みんなが出してくれる意見を取捨選択して
学生日本一になるために変えるべきところは変えていかないとと思って。
誰も学生日本一になったことがないから、何が正解か誰もわからない中で色んなことを変えてやっていかなきゃいけない。
これで本当に合ってるかな
これは果たして結果につながってきてるのかな
日々そんな不安はずっと拭えなかったし、
あーでもない、こーでもないって色々考え巡らせてたけど、
そうやって一杯一杯になりがちな時こそ、一旦落ち着いて周りを見て、いろんな人を頼って少しずつ前に進む。
それが大事かなと思います。
周りを見渡せば手を差し伸べてくれる人や同じようにもがいてる人はいる。
そうやって周りを頼って少しずつ前に進むことで、自分の道もひらけるし、チームとしても目標に対してやれることの幅が増えてくると思います。
社会人になったらもーーっと色んな価値観に出会うと思います。
自分の考えばかりに固執してないで、時には周りを頼って意見を聞き入れて、
視野広く物事取り組んでいきたいなと思います。
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最後にメッセージ
色んな人に色んなこと伝えたいんだけどここでは厳選
家族へ
家では感情むき出しにしちゃってたからめちゃくちゃ気を遣わせてたと思う。
そっとしておいてくれたり、時には欲しい言葉をくれたり。
本当に感謝しかありません。
大学生活の後半はとてもじゃないけど私に構ってる場合では無かったと思う。
それでも私に我慢させたりせず好きにさせてくれてありがとう。
少しでも家族の希望とかになってたらいいなと思って頑張れてました。
同期へ
個性豊かでクセ強で、幹部としてまとめるにはだいぶ気力が必要で、それに疲れちゃって1年生の頃はちょっと遠ざけちゃってました。本当にごめんね。
でもみんなのこと知れば知るほどいいとこいっぱい見えてきて、今では最高の仲間に出会わせてくれてありがとう神様って気持ち。
今この人こんな気持ちだろうなーっての、今じゃ多分すぐ分かる^^そのくらいみんなのこと理解してるつもり。
色んな感情共にして、私を成長させてくれたのは間違いなくみんな。
本当にありがとう。この出会いは一生物。
そして娘たち!!
2人が娘で本当に良かった!
大したことしてあげられなかったけど、誰よりも応援してるよ??
まこりんちゃんと無事に帰ってきてね??
りず、そろそろ脱問題児してね。笑
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最後に。
自分たちの代で降格させてしまったことの悔しさは簡単に消化できるものではないし、一生心に残り続けると思います。
しかし悔しいで片付けて立ち止まっていても何も変わりません。
前に進むためにも、何か部に貢献できる事はないか考えて行動し、そして社会人ではこの悔しさから得た教訓を胸に日々過ごしていきたいです。
長すぎる引退ブログ、読んでいただきありがとうございました。
以上で引退ブログとさせていただきます。
32期の引退ブログはこれで終わりです!
私たちから後輩たちになにか残せてたらいいな。
今後とも学習院女子ラクロス部の応援を宜しくお願いいたします。
#16 てん